2016年11月16日水曜日

オーディオ・サイエンス・ラボラトリー (A.S.L.) について

  オーディオ・サイエンス・ラボ(A.S.L.)は、1989年に「音楽による意識の拡大」をテーマに開設しました。これは在野の民間の研究機関です。アカデミズムや国からの助成で運営しているのではなく、職業音楽家として働き、その利益を元に研究し、そこで得たものを商業音楽に還元するという形で運営してきました。そこには協力して下さる方々の存在があることも申し添えておきます。

 意識の拡大というのは、1938年にスイスのサンドス製薬の科学者アルバート・ホフマン博士によって合成された化学薬剤 LSD 25に由来します。この化学薬剤は治療薬として1966年まで、医師の処方箋があれば手に入れることの出来る合法的なものでした。他方、アメリカ中央情報局CIAは、このLSD 25の効能からこの薬剤を管理下に置き、50年代を通じて様々な実験を繰り返しその可能性を試していました。100人の画家を集め、LSDを投与している時/していない時に画を描かせたり、学生に1回の投与で美術学校4年分の効果があったという報告や、陸軍の部隊に実験したもの、自白剤としての応用から冷戦下でのスパイに対する投与、果てはエジプトのナセル大統領に対するアシッド作戦といった様々な研究が行われていました。日本では1959年に記録映画「LSDの実験」が東京医科歯科大学教授で精神科医の島崎敏樹の参加によって制作され、また文化放送ラジオ番組の生放送では、被験者に詩人の谷川俊太郎、パントマイムのヨネヤマママコを迎え、島崎敏樹のもとで実験がとり行なわれました。実験では静脈注射によって投与された量が多すぎたため、被験者は放送中寝ていただけという結果に終わりました。島崎は小説家の島崎藤村の姪の息子にあたり、後に日本の精神医学に新風を吹き込んだと評されました。

 60年代になると、この薬剤はその効能を知った識者から徐々に広がり始め、それは「意識が拡大されてすごい人になる」といったことから、ブルジョワや政治家でもトップから、そして大学教授や芸術家へと伝わり、66年に非合法薬物として全面的に禁止になると、皮肉な事にドラッグ・ディーラーが介在し爆発的に広がる結果となりました。この意識拡大の一大運動は「サイケデリック」とよばれました。日本に於いては島崎敏樹の実験から数年後の68年には「サイケ」として広がり、極彩色な「サイケ」の流行は、様々な媒体からお茶の間にも進出し文化現象となりました。石原慎太郎の書き下ろし小説「LSD」が『文學界』2月号に掲載され、そうした同年、電子音楽の手法から派生したテープの変調やコラージュを駆使した前衛的な楽曲、フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」は270万枚を売る戦後最大のヒットを記録しました。
 LSD 25は、当初、快楽を追求するためにあったのではなく、純粋に人間の可能性は一体どこまであるのだろう?という探究にあったと思います。
 オーディオ・サイエンス・ラボラトリーは、ドラッグを奨励しているわけではなく、私は酒もタバコもドラッグも一切やらないつまらない奴なのですが、純粋に音楽で意識の拡大が計れるのではないか、というテーマのもとにやってきました。2013910日と1123日にNHK BSにて放映された、ヤン富田の音楽の世界「音楽による意識の拡大を求めて」(90分) は、その一定の成果として自負しております。また続編も予定されておりますのでいつかご覧いただけるかと願っております。 
                                        ヤン富田
           (書籍:ラジカセ for フーチャー:ヤン富田 Audio Science Laboratory Archives より転載。)  

                                                    © AUDIO SCIENCE LABORATORY 2016




撮影:グレート・ザ・歌舞伎町